不健康の自覚

花粉症に悩む人々が「いかに春は苦しいか」、「どれほど花粉症はつらいか」と語る場に触れるたび、自分はそんな例から漏れていてよかった、と感じていた。
例年、目がちょっとシパシパする程度である自分にとって、花粉症なんて言葉を使うのはおこがましいこと。
今年も例年と同じように、少々の目のかゆみを感じながらも、自分が花粉症でない奇蹟に感謝をしていたのである。
ただし温度変化に弱い自分は、季節の変わり目を主とした年数回は体調を崩すのが常であり、誰しも体の弱点が均等に備え付けられているのだと考えていた。
なので、日によって暖かさと寒さが分かれるこの時期もまた、体調を崩しやすい季節にあたる。
現在は熱こそないが、急に思い出したように咳が止まらなくなることがあり、鼻は詰まって喉に痰が絡む。寒くなり初め以来の風邪か、と。
しかし、だるさはあれども、食欲もそれなりにある。やつれるような風邪ではなくてよかったが、長引いている点では厄介だ。
そう思っていたら、それは花粉症の典型的な症状じゃないのか、と指摘された。
鼻が詰まるから、呼吸がし難くなる。無意識に過剰な口呼吸を必要とし、喉の具合も悪くなる。
そりゃそうだ。なんだ、重度の花粉症じゃないか。

前にも似たようなことがあった。
生活に密着した健康をテーマにした情報でも特に目にする、肩こり関連の情報。その原因となる要素を並べた場合、自分の生活をしたためたかのごとき、とても親近感を覚える人格になっている。
なのに肩こりに悩まない自分は、なんと恵まれたことか。自分が肩こりでない幸運に歓喜していたのである。
肩を揉まれている人を見ても、自分だったらくすぐったさが先立ってしまうな、との思いが強かった。
ある時、マッサージが得意と自負している人に、肩をもまれる機会があった。そして言われたのは、こんな凄い肩こりでつらくはないのか、と。
なんだ、肩こりだったのか。そう言われてみれば、ちょっとだるかったよ。

結局のところ、花粉症にしても肩こりにしても、つらさをよく理解していなかったのだ。
つらいつらいと主張する人が多すぎるもので、自分は大したことがないだろうとたかをくくっていたのである。
なんとなくつらい気もするが、そういうもんなんだとしか思っていなかったのだから。
ポジティブシンキングとも取れるが、自分を理解できていないとも取れる。問題を放置して、そういうものだと信じきっているのだから。

極めて不健康そうでありながら健康であることがウリの自分は、実は強烈な不健康で感覚が麻痺しているだけなのではないだろうか。
世の中には、まだ知らない不健康が大量に眠っている。知らぬが仏、知らぬが健康。