メガネを探して幾年月

洗面台にてコンタクトレンズを外してみたところ、鏡台のなかにあるつもりでいたメガネが見当たらない。
最後に使用した状況を思い出してみるに、就寝の際に部屋で外し、そのままにした覚えがある。きっと脱ぎ散らかした服の中にでも紛れてしまっているのだろう。
しかし、探そうにも探せない。
理由はこの上なく単純で、メガネを探せるくらいの裸眼視力の持ち合わせはないのだ。かといってコンタクトレンズを入れなおそうにも、普段から使用しているレンズは一日で交換の使い捨てレンズであり、つい数分前に装着していたそれは、外すと同時にゴミ箱行きとしてしまった。寝るためにレンズを外したのに、メガネを探すためだけに新しいレンズを用意するなんて、ケチで弱気な自分には、とてもじゃないができない。
仕方がないので、寝るまでの時間をメガネなしで過ごす選択肢も想定することにした。
とまどいつつも、便器に腰掛けて考えてみる。どうせ眠るためにコンタクトレンズを外しているのだから、メガネなんて必要ない。メガネを必要としているのは、眠ろうとする折りに気をそぞろにさせる、他の用事たちじゃないか。メガネなしで就寝前の時間を過ごす方向でいこうじゃないか。不安がるだけ無駄なのだ、決めてしまえばなんとかなるのが世の摂理。早速、トイレから出ようと、右手のウォシュレット操作パネルに目をやる。しかし正確には、目はやれていなかった。顔は確かに右の手元を向いているが、視界に映るのはぼんやりした何かだけで、操作パネルの内容なんてサッパリわからない。自宅のトイレであるからブラインドタッチで尻を洗浄できたものの、不慣れな環境だったら50%の確率でビデだった。
やっぱりメガネは必要だ。メガネを見つけるまでは、寝られやしない。明らかに順序がおかしいのだが、寝られやしない。
じゃあどうやって探したものか。何らかの視力矯正をしなければ、どうにもならない。洗面台を見渡すと、コンタクトレンズで出掛けた妹のメガネが。度が合わないことは止むを得まい。目が悪い一家でよかった。
人様のメガネで自室に戻って気が付いた。部屋掃除中で本棚の整理をしていたがために、床は本の平積みに紙袋の山だったじゃないか。数日前の自分よ、メガネは是非とも、わかりやすい場所に置いていただきたい。空気を読んでいただけるよう、過ぎ去った時間を越えて、重ねてお願いしたい。
机の天板。テレビの上。サッシの枠。わかりやすい場所からは、見つかる気配がまったくなし。生活習慣からして、ベッドを使わずに布団を床に敷いているのだから、当たり前は当たり前だが。慣れないメガネを通したぼんやりとした視界で、ひたすらにモノとモノの間を探る。
すると、やおら視界に飛び込むメガネフレーム!
あなたは、このメガネがコンタクトレンズ装着時用の度無しメガネだったときの糠喜びぶりを、想像したことがありますか。自分の場合、体験談としてしっかり語れる。
しばらく探した結果、6年ほどの付き合いのメガネは、荷物と荷物の谷間から見つかった。いざ見つかればあっけないが、あっけなさに辿り着くまでが実に長い。検索とは、かくも地味で面倒なものか。普段からいろいろと探してもらっているGoogleへ、最上級の敬意を示したい気持ちだ。
体力よりも精神力に疲れが出た。さっさと灯りを落として、横になろう。
つまり、メガネは必要なかった。